「報徳のイチロー」挫折の秋乗り越え心身パワーアップ

[ 2011年1月27日 19:00 ]

報徳学園・田村

吉報を待つ1年生トリオ 

 第83回選抜高校野球大会(3月23日から12日間、甲子園)の出場校が28日の選考委員会で決定する。「報徳のイチロー」田村伊知郎投手は挫折の秋を乗り越え春の訪れを待っている。

 夏の疲れを感じている暇などなかった。

 「あそこ(甲子園)に戻りたいと思うと湧いてくる力がありました」

 昨夏甲子園の準決勝で敗れてから3週間後、報徳学園・田村は背番号1を背負い、センバツ切符を争う秋季県大会に臨んだ。初めて足を踏み入れた聖地では全5試合に登板。準々決勝の新潟明訓戦で01年のアン(東洋大姫路)以来9年ぶりに1年生先発投手として勝利投手となるなどフル回転した。そして休む間もなく秋季大会へ。口では「疲れはありません」と繰り返したが、甲子園で最速144キロを計測した直球も、秋は130キロ台中盤がやっとだった。

 甲子園4強が重圧にもなった。「秋は守る立場に立ってしまいました」。公式戦全9試合で完投こそしたものの、「負けられない」と思うと腕が縮こまった。持ち味の攻めの投球が鳴りを潜め、県大会準決勝で加古川北に足をすくわれた。それでも近畿大会準決勝の履正社戦では、敗れたとはいえ真っ向勝負で2失点完投。最後に復調への手応えをつかみ、センバツ出場に当確ランプを灯す近畿大会4強で秋の戦いを終えた。

 この冬は「夏のがむしゃらな気持ちを思い出すこと」をテーマに下半身強化に励んでいる。多い時は1日で50メートルダッシュ70本など、ひたすら走り込む日々。体重は昨夏の66キロから71キロに増えた。新たな球種としてチェンジアップも習得中だ。再び甲子園のマウンドで躍動すべく、「報徳のイチロー」は静かに春の訪れを待つ。

 ◆田村 伊知郎(たむら・いちろう)1994年(平6)9月19日、兵庫県神戸市生まれの16歳。箕谷小2年時に野球を始め、最初のポジションは捕手。山田中では軟式野球部に所属し、1年時に投手転向。3年春はエースとして県大会8強入り。報徳学園では1年春からベンチ入り。最速144キロ。50メートル走6秒7、遠投100メートル。1メートル70、71キロ。右投げ左打ち。

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2011年1月27日のニュース