松井 ミスターに新天地での復活誓った!

[ 2011年1月22日 06:00 ]

93年3月15日、松井秀(左)を直接指導する長嶋監督

 アスレチックス・松井秀喜外野手(36)が21日、東京都内で取材に応じ、恩師である巨人・長嶋茂雄終身名誉監督(74)と先週末に会食したことを明かした。野球人生の正念場を迎えるメジャー9年目、ミスターに新天地での完全復活を誓った。

 新年のあいさつを兼ね、毎オフ恒例となっている長嶋氏との食事会では2時間ほど語り合った。「活躍すれば喜んでくれますからね」と松井。それは打率・274、21本塁打、84打点に終わった昨季からの逆襲宣言でもあった。

 04年に脳梗塞を患った長嶋氏は、03年4月29日~5月1日のヤンキース―マリナーズ戦を最後に米国での試合観戦に訪れていない。しかし、驚異的な回復に加えて、西海岸のオークランドは当時の本拠地ニューヨークよりもフライトが約3時間縮まるとあって8年ぶりの観戦を切望しているという。「見に来てほしいけど体調を第一に考えてほしい」と気遣っていた松井も「元気でしたよ。(16日には)大相撲を見に行っているくらいですから」と目を輝かせた。

 松井は昨年12月にア軍のゲレン監督とも会食。49歳の指揮官と野球談議に花を咲かせ「ジェントルマンって感じだよね。凄く紳士的だし、野球が好きという感じがした」と好印象を口にした。屋外トレーニングでは約60メートルの距離を7割程度の力でダッシュを繰り返し、キャッチボールも行うなど精力的。膝の状態を含めて、体調については「手術した(07年)以降では、一番いいんじゃない」と胸を張った。

 松井の活躍が長嶋氏の活力となり、長嶋氏の元気な姿が松井にパワーをみなぎらせる。強い絆で結ばれた師弟の共闘で、ゴジラが完全復活を目指す。

 ▽松井と長嶋氏の師弟関係 92年ドラフト会議で長嶋氏(当時監督)が、抽選で松井の交渉権を獲得したことが師弟関係の始まり。松井を球界の顔に育てるため、長嶋氏は93年の入団時に「4番1000日計画」を掲げ「3年で一人前にする」と宣言。言葉どおり入団4年目の96年開幕戦で4番に起用した。東京ドームでの試合では、毎回試合直前に室内ブルペンに入りマンツーマン指導。自宅や遠征先のホテルの自室にも招き、素振りをさせていた。02年オフに松井がメジャー挑戦を決断した際には、真っ先に長嶋氏に報告。打撃不振に陥った03年シーズン当初には、視察に訪れた長嶋氏がトーリ監督(当時)に「エンジンがかかるには6~7週間はかかる」と擁護もした。

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2011年1月22日のニュース