北大津・目片 父子の悲願聖地でヒットならず

[ 2010年8月18日 06:00 ]

<北大津・成田>7回1死、北大津の代打・目片は一塁ゴロも必死にヘッドスライディング

 【夏の1ページ 北大津5―6成田】打席へ入る前にスタンドを見た。大観衆だ。北大津の背番号16、目片はただただ感激していた。

 「お父さんの家に生まれてきてよかった。お父さんの家でなきゃ甲子園へ来られなかった」
 父・勲さん(49)は79年夏に比叡山の二塁手として滋賀県勢初のベスト8。北大津・宮崎監督は当時の外野手で同級生だった。進学先に選んだのは「偶然だった」が、目片は不思議な縁を感じていた。父が31年前の準々決勝で敗れたのは、牛島―香川のバッテリーがいた浪商(現大体大浪商)。「カーブが直角に曲がった。今で言うスライダー。見たこともない球だった」。二ゴロと三振。だから父が打てなかったヒットを甲子園で打ちたかった。冬場は1日2000スイング。手の皮がむけても振った。
 7回1死で代打。1、2回戦は一塁の守備固め。甲子園初打席だ。3球目。センター返しを心掛けていたのに力が入った。引っかけて一ゴロ。スライダーだった。「もっと勝ってお父さんやいろんな人に恩返ししたかった。立派な社会人になって、ちゃんと恩返ししたい」。涙は止まらない。でも、打てなかったヒットはこれからの人生で必ず打つ。

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2010年8月18日のニュース