宮崎弁でお立ち台!井手、新天地で初の大仕事

[ 2010年5月5日 06:00 ]

ヒーローインタビューを終え、ファンとハイタッチする横浜・井手

 【横浜6-5広島】横浜・井手の全身をアドレナリンが駆けめぐっていた。9回、劇的なサヨナラ打。ソフトバンク時代の05年6月25日、日本ハム戦(ヤフードーム)で1度経験しているが、新天地での初めてのお立ち台はやはり格別だった。

 4月20日にトレードで移籍してきたばかりの男は、スタンドからの「ショータロー」コールに笑顔を見せ、宮崎弁で答えた。
 「てげ~うれしいです!監督から結果を気にせず思い切り行けと言われていたので。自分で決めるつもりでいました」
 同点の1死満塁。1ボール2ストライクからの4球目、高橋の投じたひざ元の135キロシュートに反応した。打球は三塁左を抜けていった。右手を突き上げたまま一塁ベースを回ると、チームメートが殺到。そのまま押し倒され、ペットボトルの水をかけられる手荒い祝福に「水があんなに冷たいとは」と笑った。
 この日は、日南学園の同級生・寺原が先発した。3回まで5―1とリードしながら、4回途中で右ひじの違和感で降板。チーム総動員の戦いを強いられた。「テラが投げる試合には特別な思いがあるのでよかった」。プロでもソフトバンク―横浜と同じ道を歩む親友にはロッカールームで頭を叩かれて感謝された。
 これまで絵美夫人(25)が小魚などカルシウムが多く入った食事でサポートしてくれていたが、現在は家族を福岡に残し、横須賀の寮で生活を送る。試合後、多数の祝福メールの中、夫人から真っ先に「おめでとう」のメールが届いたのが何よりうれしかった。
 ソフトバンクでは故障にも泣かされ、今季も1軍での出場機会はなかった。しかし、横浜では既に8試合で先発出場。この試合前まで打率・207と結果が出ずに「申し訳ないと思っていた」というが、尾花監督は「これで本当にベイスターズの一員になれたんじゃないですか」と喜んだ。
 チームは単独4位に浮上。最後、井手はファンに力強く約束した。「宮崎から来ました井手正太郎です!あしたからも頑張りますのでよろしくお願いします」。尾花ベイに頼もしい孝行息子が誕生した。

 ▽井手と寺原の日南学園時代 3年夏(01年)にエースと3番打者として初めて甲子園に出場。井手は3回戦まで12打数10安打と大活躍し、寺原も2回戦で甲子園最速の158キロをマーク。準々決勝で横浜と対戦し、2―2の9回に寺原が2点を勝ち越されて敗退。井手は左足首捻挫を押して出場も無安打に終わった。

 ◆井手 正太郎(いで・しょうたろう)1983年(昭58)10月10日、宮崎県生まれの26歳。日南学園3年夏の甲子園では打率・625をマークし8強。01年ドラフト8巡目でダイエー(現ソフトバンク)入団。07年に61試合出場で頭角を現した。今季開幕直後の4月にトレードで横浜移籍。1メートル79、81キロ。右投げ右打ち。

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2010年5月5日のニュース